平成20年度千葉県高等学校教育研究会数学部会秋季研究大会が、以下の開催要項にしたがって、実施されました。
参加人数: 102名
1 主 催 千葉県高等学校教育研究会数学部会
2 後 援 千葉県教育委員会
3 期 日 平成20年11月11日(火)
4 会 場 千葉県立千葉北高等学校
5 日 程 受 付( 弁当注文 ) 9:00~ 9:40
公 開 授 業 (2限) 9:45~10:35
開会・挨拶・諸連絡 10:40~11:00
研 究 発 表 11:00~11:30
研 究 発 表 11:30~12:00
昼 食 ・休 憩 12:00~13:00
研 究 発 表 13:00~13:30
研 究 発 表 13:30~14:00
講 演 14:10~15:40
研 究 協 議 15:40~16:00
閉 会 16:00
6 内 容
(1) 研究発表
① 「平成20年度計算力テスト実施結果について」
千葉県立沼南高等学校 川邉 浩一 先生
② 「数列の指導法についての考察」
千葉県立茂原樟陽高等学校 木村 謙二 先生
③ 「プレゼンテーションを生かした授業実践」
千葉県立勝浦若潮高等学校 鈴木 洋松 先生
④ 「県立千葉中学校での工夫」
千葉県立千葉中学校 大窪 普 先生
(2) 講演
「天才関孝和の数学の基礎」
日本数学史学会 会長 佐藤 健一 先生
「天才関孝和の数学の基礎」 日本数学史学会 会長 佐藤 健一 先生
関孝和は世界で通用する日本の天才数学者である。日本の数学は奈良・飛鳥時代に始まり、室町時代に中国からソロバンが伝わった。戦国時代は戦術として計算を必要とし、江戸時代になって一般社会での必要性へと変化した。当時、毛利重能の塾が有名で、その弟子今村知商、吉田光由、高原吉種らが、道路整備や洪水対策など土木事業などで活躍した。また、一般社会では、吉田光由の著書「塵劫記」が、生活上の計算がソロバンでできるという理由で幅広く認知されるようになった。この書物を契機に遺題(当時の難問)のリレーの受け渡しが行われるようになった。その後、解けないものは中国に依存していたため、兵士が中国から持ち帰った数学書「算学啓蒙」の研究が進み、「天元術」が広く普及した。天元術は、未知数が1つであればどんな次数であっても解けるというものであった。その天元術でも解けない問題を解決したのが関孝和である。彼は新しい筆算法で解き、「発微算法」(1674年)として刊行した。
(具体的な遺題の解説あり)
江戸時代の数学の特徴として、遊びの気持ちの現れも一つの要素であった。関もこの種の数学に興味があり、「方陣之法」、「算脱之法」、「験符之法」などを著している。
①薬師算
薬師如来は12の大願をたてることや12の神将があるように12という数に関わりがある。その12という数を使った解法が薬師算の特徴である。
(具体的な遺題の解説あり)
②裁ち合せ
ハサミで切り、それをつなげて別の形にすることを「裁ち合せ」という。
(実際にハサミと折り紙を使っての作業)
以上が講演の概要である。
算学の歴史的な流れとその魅力及び作業による問題演習など多彩な内容で、大変密度の濃い講演でした。
8 佐藤 健一 先生のプロフィール
1938年満州国新京市に生まれる。東京理科大学理学部数学科卒業。
明治大学付属中野中学・高等学校、明治大学付属中野八王子中学・高等学校(教頭)を経て現在国士舘大学非常勤講師。
日本数学史学会 会長
和算研究所 理事長
NPO法人 和算を普及する会 代表
数学史教育研究会代表
財団法人日本私学教育研究所客員研究員
東京理科大学 非常勤講師
財団法人 中央教育研究所 評議員
清泉女子大学「清泉ラファエラ・アカデミア」講師
主な著書
1.『多摩の算額』昭和57年、研成社
2.『数学用語事典』(編)昭和58年、研成社
3.『算数用語事典』(編)昭和60年、研成社
4.『和算家の旅日記』昭和63年、時事通信社
5.『数学の文明開化』平成元年、時事通信社
6.『江戸初期和算選書』第1巻「算用記」、校注 平成2年、研成社
7.『建部賢弘の「算暦雑考」』平成7年、研成社
8.『要説 数学史読本』(編)平成8年、東洋書店
9.『吉田光由の「塵劫記」』平成9年、研成社
10.『新・和算入門』2000年、研成社
11.『和算用語集』(共著)2005年10月 研成社
12.『塵劫記』初版本 訳・校注 2006年4月 研成社
13.『和算百話』2007年7月 東洋書店
14.『関孝和の人と業績』(編)2008年1月 研成社
15.『魔方陣』2008年7月 かんき出版
他 多数有り